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笹川 良一
(ささかわ りょういち、1899年5月4日 - 1995年7月18日)は、日本の右翼・民族主義活動家、元衆議院議員、社会運動家、財団法人日本船舶振興会創設者。称号は箕面市名誉市民。個人としては非常な財力を持ち、最盛期には銀行団や理事会などの承認のプロセスを経ずに「1日で100億現金で集められるのは笹川、川崎定徳会、生長の家」という言葉が囁かれた。
プロフィール 政治活動 大阪府箕面市生まれ。芸能プロダクション経営を経て、藤吉男らと右翼団体・国粋大衆党を結成、総裁に就任。飛行機や飛行場を軍に献納して軍人に知己を得ると共に、イタリアに渡ってベニート・ムッソリーニと会見した。また、満州国でも活動していた。その一方で株式相場にも手を出し、恐喝容疑で収監されてもいる。1942年に行われた翼賛選挙では非推薦ながら立候補、当選して一期務めている。 なお、この頃「東洋のマタ・ハリ」と呼ばれ一世を風靡した関東軍のスパイ・川島芳子との交際が噂されているが、本人は川島と親密であることは認めているものの、交際については否定も肯定もしていない。 A級戦犯指定 第二次世界大戦(大東亜戦争)後、自ら志願してA級戦犯に指定され巣鴨プリズンに収監されたが、アメリカ合衆国の占領政策転換(理想国家化から反共・封じ込めへ)に伴い釈放された。なお、この獄中にてモーターボートと出会うことになる。 競艇 その後、藤や矢次一夫と計らってモーターボート競走法成立に尽力し、社団法人全国モーターボート競走会連合会(全モ連)の設立に関与。更に日本船舶振興会を創設し、会長などを務めた。モーターボートに興味を持ったきっかけは、戦時中の特攻隊を見て、モーターボートに爆弾を積んで敵艦に激突できないか、と考えたことにあるとされる(そのような兵器として実際に特攻艇「震洋」が製作、投入されているが、もちろん笹川の提案で作られたものではない)。その際、日本船舶振興会のCMに自ら出演。「Together to tomorrow」をキャッチコピーに、子供たちとの「一日一善」の掛け声や社会奉仕活動の模様が紹介された。 尚、高見山や子供たちと共に「一日一善」等のシーンは1975年から会長を務めた財団法人日本防火協会のCMにも使われた。CM全体のイメージが日本船舶振興会のそれとほぼ共通であったため混同されがちである。ちなみに同協会でCMを流していたのはほぼ笹川の在任期間と同じ1976年度から1994年度まで。 この時期に小中学生であった年代の者にとって、笹川良一は「一日一善」若しくは「戸締り用心」「火の用心」のおじさんとして認識されている。 福祉事業 船舶振興会の活動によって海外では福祉事業家として知られ、1979年には、やはりA級戦犯の容疑者であった岸信介とともに第一回国連平和賞を受賞している。1978年~1979年に開催された、宇宙科学博覧会協会の総裁も務めた。笹川の競艇創設の栄誉をたたえ、SG競走の「笹川賞」が毎年5月に行われている。 右翼活動 統一教会とはある時期まで協力関係にあり、1963年には、統一教会の日本支部顧問を引き受けたり、同年6月4日の72双合同結婚式にも夫妻で参列もした。 統一教会が1968年に結成した反共の政治団体国際勝共連合で、結成時から名誉会長を務めたりもしていたが、以前からお金にうるさいと感じていた文鮮明との関係が悪くなったためか、1972年には「反共運動から手を引く」と勝共連合名誉会長を辞任した。 笹川は右翼活動や船舶振興会の活動を通じて長きに渡り政界の黒幕として影響力を及ぼした。 更に仏教系の新興宗教・弁天宗の信徒総代にもなっている。 少々話がずれるが宗教に入れ込んだのは「宗教こそ反共最後の砦」という信念に基づいてであるということも付け加えておく。 タブー 生前、新聞やテレビ、雑誌などのマスメディアで笹川に関する批判的言説を発表することは、ある種のタブーとなっていたと指摘されている。 「私は上半身と下半身で人格が違う」と買春を公言するなど、物議を醸す発言も多々あったが、それが一般マスコミで批判的に取り上げられるのは死を待たねばならなかった。 類 笹川勝正は長男、自由民主党衆議院議員の笹川堯は次男、日本船舶振興会(通称「日本財団」)会長・社団法人東京都モーターボート競走会名誉会長を務める笹川陽平は三男。笹川泰弘は競艇機材を独占して提供しているヤマト発動機や日本トーターの社長である。元国会議員で湘南工科大学名誉総長、日本航空エグゼクティブ・アドバイザーなどを務める糸山英太郎は義理の甥に当たる。 また、笹川陽平の長男、笹川貴生はNTTドコモに勤務する会社員であり、松永真理が率いていたi-modeの開発チームに在籍していた。 なお、笹川一族と親密とされている企業としては、内外タイムス・日本トーター・岩井証券・研音グループなどがある。 なお、「笹川良一の子供は星の数ほどいる」と本人が公言している通りに、隠し子がたくさんいると思われる。 参考文献 巣鴨日記笹川 良一 (著)中央公論社 ; ISBN: 4120026507 ; (1997/02) カルト」の正体宝島社文庫 別冊宝島編集部 (編集) ; ISBN: 4796616853 ; (1999/12) (元統一教会の幹部、西川勝のインタビューに笹川とのエピソードがある。)
by katsuMMRC
| 2006-05-23 01:34
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